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2009年08月27日
アジアパラユースゲームズ、デフリンピック知事表敬訪問
本県から選出された2009東京アジアユースパラゲームズ・第21回デフリンピックの出場に先立ち、知事表敬訪問が行われました。
2009東京アジアパラユースゲームズに、本県から選手3名が出場します!!
ボッチャ競技に出場する「高濟 智史選手」(福島二中)、「五十嵐翔平選手」(コパン)
陸上競技に出場する「佐藤智美選手」(まちなか夢工房)
ボッチャ競技のコーチとして、いわき支部長「村上光輝さん」、県南支部「國分章夫さん」、審判として県南支部長「村上普子さん」が出場します。
水泳競技のトレーナーに「中村志穂さん」(いわき市)が派遣されます。
また、第21回デフリンピックは、台北で行われます。
陸上競技マラソンに、山田真人選手(いわき市)が出場します。また、ボウリングの役員に辺見新吉さんが派遣されます。
投稿者 letssports : 14:48
2009年08月13日
第1回福島県ボッチャ選手権大会とボッチャ物語
第1回福島県ボッチャ大会が、平成21年8月9日(日)郡山市障害者福祉センターで開催されました。
また、今大会は、アジアパラユースゲーム2009のボッチャ日本代表選手の高濟智史選手、五十嵐翔平選手が出場し、熱戦を繰り広げました。
大会の結果は、次のとおり事務局から報告がきています。
けが人もなく、参加者も最後まで楽しんでくれていました。
運営面では大いに反省することもありましたが、審判のみなさんも一生懸命やってくれて、だいぶ審判法を覚えてくれたようでした。次回にむけ、ボッチャを少しずつ県内全域に普及できるよう努力していきたいと思います。
○参加者BCクラス:8名、オープンクラス6名
BCクラス:優勝 大川原広隆(郡山養護学校)
2位 今泉 健二(ウルトラボッチャマンズ)
3位 秋元 典夫(わーくIL)
3位 桑原 麻衣(郡山養護学校)
オープンクラス:優勝 大堀誠眞(郡山養護学校)
2位 鈴木 光 (ウルトラボッチャマンズ)
3位 石田 将之(ウルトラボッチャマンズ)
3位 星 大樹(会津養護学校
県内のボッチャ競技は15年前、FESPIC北京がきっかけでした。そのときに女子車椅子バスケットボールで派遣されたのですが、試合が最終日に1日のみで、毎日練習のみで、ものすごーく時間があったため、シャトルバスに乗り込み、いろんな競技を見てまわっていました。
ある日、シャトルバスに乗ってグルグルしていましたら、ボッチャ競技会場に到着しました。
はじめて目にしたその競技は、、、、、。
頭に孫の手のような棒をつけた選手が、雨どいのような用具の上から球を転がし、
四肢の障害がある選手が頭脳プレーで逆転するその競技を見て、「これはおもしろい」しかも、「頭わるけりゃできない競技だ」となって時間を忘れ1試合まるまる見ていたわけです。
私も車椅子になって3年、、若葉マークの取れない車椅子ユーザーで、いろんな障害があるものだ、、そしていろんなことができるもんだと感心しながら帰るバスでいろんなことを考えていました。
それから2年後、スポーツ協会に勤務することになり、スポーツは障がいの軽い人しかできない、重度の障害者はスポーツをするなんてとてもできない」というのを聞いて、「んなことはない!重度でもできるスポーツがあるはずだと」考えていたところ、あのFESPIC北京で見た光景がよみがえってきました。
静かだけど、熱いバトルのボッチャ・・・「これは、雪深い福島の地にぴったりの屋内競技だ!」しかも、「重度の肢体不自由者が狭い施設内でもできる」と思い、さっそくスポーツ協会の上司に用具の購入を交渉しました。
しかし、当時、ボッチャの用具はなんと「8万円~」しかも、誰も知らないマイナー競技に「ほんとに買ってやる人いんのがい?」と言われながらも、「絶対に普及すると思います。」と、当時は根拠なき自信で説得して用具を2セット買ってもらいました。これが、福島県で初のボッチャ導入となりました。
ですが、満を持して導入したはずのボッチャは8年経っても、いっこうに普及されず、養護学校に貸出して体育の授業で使われる程度のものでした。
市町村のニュースポーツ導入の問い合わせがあるたびに、ボッチャとフライングディスクを薦め、普及を図りましたが、用具が高価であること、重度肢体不自由者の参加が困難なことで敬遠されてきました。。。
反面、フライングディスクはどんどん普及が進み、会津養護学校の雪深い時期にはじめて教室を実施した5年後にはメジャーなスポーツになっていました。
郡山市の障害者スポーツ教室にも勧めた割に参加者も少なく、、、普及もいまいち。。。。郡山市障害者福祉センターの山田さんと、「なんかいまいち集客力がないんですよね・・・どうしましょう。用具も買いましたし。。。このままでは来年はなくなるかもしれませんと」言われましたが、
「ぜったいに波がきますよ山田さん、ぜひ継続しましょう。
はじめは根拠なき自信でしたが、そのときは、根拠ができつつありました。
それは、ボッチャがパラリンピックの正式種目として導入されたからです。まだ日本代表は派遣されていませんでしたが、近い将来、必ず日本も代表が出るに違いないと思いました。それも大分太陽から代表がでると!そうなれば、必ず、ボッチャは普及されると。
そう思っていた矢先。大きなきっかけが訪れました。それは、特別支援学校スポーツ大会にボッチャが導入される!ということでした。
そして、特別支援学校を起点に、ボッチャは広がりを見せ、村上普子指導員が公認審判の資格を取得、以後、福島県ボッチャ協会を設立し、このたびの日本代表発掘につながったのです。
つづきは、また後日。
投稿者 letssports : 16:49